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2007年12月 アーカイブ

2007年12月20日

神輿の起源

このようにして今の神輿があるんですね。

本当に不思議な起源ですね。


諸説あるが、そのうちの1つとして以下のような説がある。

狩猟と採集による移住を繰り返した時代に行われた収穫祭の祭壇が起源で、このときは祭りが終わると神輿は取り壊され、毎年新たな神輿を作って天上の神を招いていた。
農耕が始まり人々が定住するようになると、神に対しても定住が求められるようになり、居所としての神社が誕生した。そして神の乗り物として神輿が継承され現在のような形になった。
この説を採用した観光協会等において、外国人に対し神輿を"Portable Shrine"(持ち運び可能な神社)との説明がされるようになり、"Mikoshi"の英訳として一般化するに至っている。

文献での書出は、奈良時代の元正天皇の御世、養老4年(720年)九州で起こった「隼人の乱」にあるという。同年2月九州南部の大隈・日向に住む隼人族は、大隈国守を殺害してクーデターを起こした。朝廷は万葉歌人でも有名な大伴旅人を征隼人持節大将軍に任命し、一万を超す軍隊を派兵した。この時、朝廷は宇佐八幡宮に勅使を派遣し、国家鎮護と隼人討伐を祈願した。当時は、今の大分県宇佐市小倉山でなく、近くの小山田に鎮座していた八幡神は、この願いに応じ、「われ征きて降し伏)すべし」みずから神軍を率いて隼人討伐に赴くと託宣を下した。朝廷は豊前国司宇努首男人(ぶぜんこくしうぬのおびとおひと)に命じ、八幡神の神霊が乗る神輿を作らせた。「八幡宇佐宮御託宣集」によれば、「豊前国司に仰せつけられ、始めて神輿を作らしむ」とある。[要出典]聖武天皇が奈良に東大寺を建て、毘盧舎那仏(奈良の大仏)を建立して国の象徴として建設にあたる時、天平勝宝元年(749年)に、これを助ける為に、宇佐八幡神は、屋根に金色の鳳凰が輝く天皇の乗り物(鳳輩)に乗って奈良の都へと都御した。この鳳輩こそが、1300年の歳月を経て今に伝わる神輿の原型である。

平安時代になると、近江の日吉大社や京都の祇園社、今宮神社や北野天満宮などでも神輿が作られた。鳳輩をもとにして、これに魔除けの巴紋や神紋を飾り、ミニチュアの神社のように鳥居や玉垣、高欄などが付けられた。こうして、主に奈良・京都を中心にして神輿が一般化された。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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